2013年01月12日

移行

 今後はこっちでたまに書くかもしれません。
 http://tomo-nashi.hatenablog.com/




posted by トモナシ at 23:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

140文字では書ききれない

 ニコニコ動画に動画を投稿し、全国に散らばるたくさんのソウルメイト(コミュ障)からメッセージを受け取った。中には「うわっ・・・・私のコミュニケーション能力、低すぎ・・・?!」と気付き始めたばかりの若人もいるので、ここでコミュ障先輩として君達に伝えたいと思う。

 まず、コミュ障は不便だ。すごく不便だ。あらゆる場面でこれからも君の足を引っ張るだろう。気まずい思いをし、「早く帰ってネットしたい」という時間をいくつも過ごすだろう。だからできるなら、思い切って人の中に入っていくことはした方がいい。ただし無理には行くな。確実に空回りする。余計に傷をえぐるだけだ。相手・時間・環境、条件が揃うときがたまにくる。その時を見極め逃さずに、勇気出して踏み込んでみてほしい。
 それで波に乗れる人は乗ってほしい。道を分かつことになるが、僕は君を笑顔で(コミュ障特有の気味の悪い笑顔で)見送ろう。もちろん彼らと同じようにはなれない人もいる。それはある程度仕方のないことなんだ。先ほど述べたように、やはり僕はコミュニケーションは必要なものだと考えている。君にも少しでいいからマシになってほしいと願っている。しかし絶望することはない。長距離は打てた方がいいだろう。ホームランなんか打ったら最高に気持ちいいのだろう。称賛もされる。けれどそうでなくたって守備が上手ければレギュラーになることはできるかもしれない。足が速ければ代走でベンチに入れるかもしれない。観客席で氷を売れば生計を立てられるかもしれない。僕達は、それぞれの場所で、それぞれのまま、やっていくことができる。僕はコミュ障であることに誇りなんて持っちゃいない。今日も本屋でお釣りをもらうのを待っている時に店員さんから目を逸らし何処を見ていればいいのか分からずモジモジしていた自分にウンザリだってしている。それでも僕は僕で生きていくことにもう迷いは無い。そうするしかないんだから。


 動画を投稿した。「僕はコミュ障で大変なんだ。君もそうだろ?」と歌っただけだ。それ以上の意味なんてない。これからも時間と環境などが上手く揃って投稿することがいつかあるかもしれないし、ないかもしれない。そこの所はまあ前から変わっていないのだけれど皆がブログなどをくまなく見てくれる訳もないので「引退したけど復帰した」と捉えられることがあるのは仕方がないと認識している。
 また、下世話な話をすると、正直今回は最終的に1万再生くらいされればいいなくらいの気持ちだったが、予想外にたくさん再生されてとても嬉しく思っている。サラリーマンをしながら、何の技能も持たないどこにでもいるコミュ障が趣味で投稿したものがこんなにもたくさんの人に見てもらえて楽しんでもらえることは本当にすごいことだと改めて思う。(ドワンゴさんありがとうございます。プレミアム止めてすいません。おかげで上限越えで自分のマイリスに今回の動画入れられませんでした)
 ツイッターのリプライなども全く返せていなくて申し訳ないが、本当に皆さんにありがとうと伝えたい。コミュ障の人なら分かってくれるだろう、「人に認識される」という事が僕達にとってどれだけ難しく、どれだけ嬉しいかということは。

 もう一度だけ。僕の悪ふざけ動画を見てくれてありがとうございます。皆さんの2013年が、少しでもマシで優しい年になりますように。





posted by トモナシ at 22:19| Comment(17) | ニコニコ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月16日

2012年だった

 2012年も色々なことがあった。皆さんはどんなことを思い返すだろうか。一生懸命絵を描く黄瀬やよいちゃん、お父さん想いの黄瀬やよいちゃん、アカオーニと戦うキュアピースたん、どんな場面を思い返すだろうか。もちろん楽しいことばかりでなく、嫌な思いもたくさんしただろう(スマイルプリキュアが高校野球で放送されなかったことなど)。それでも健康で無事に1年間生き延びたことに、僕は胸を張りたいと思うし、SAOの直葉ちゃんの胸を触りたいと思っている。

 さて2012の僕のインターネットである。ニコニコ動画においては動画を3本投稿と、ニコ生を約半年配信した。発信側としてはゆるやかに収束している。今後も色々なタイミングが重なった時には投稿などすることはあるかもしれないし、多分正月休み暇なので年明け早い段階でちょろっと投稿するような気がするが、以前のようなドップリ投稿者に戻ることはないのでそこは軽い気持ちで見ていただければ幸いである。

 twitterに関しては引き続きつぶやいている。僕の把握している限り下は12歳から上は45歳くらいまで読者がいるようなので、一体どの層に向かってつぶやけばいいのか迷うところではあるが、とりあえず「コミュ障が辛い」「テニスサークルが憎い」という普遍的な怨嗟を放出し、同じくコミュ障のフォロワーさんが受け止めるという何の生産性も無いインターネットを繰り広げている。せめて皆さんが「ああ、自分以外にも悲劇的なコミュ障が存在しているのだ」と認識することで自身のコミュ障不幸成分を薄めて強く生きていって欲しいと願っているし、おひさまみたいに照らす笑い顔消えないきらめきみんなが持っていると思うし、エイプリルフールで嘘をついたキュアピースたんは本当にかわいかったよね。
posted by トモナシ at 21:11| Comment(13) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月08日

歌ってみたかった

 歌ってみたを投稿したきっかけを考えてみようと思う。考えるということは自分でも分からないということでありドラマティックなきっかけは出てこないと思うが、「どうして歌ってみたをしてみようと思ったんですか?」「下手な上に声もキモイのに?」「頭おかしいんですか?」といった質問を時々いただくので自分なりに記憶を振り絞ってみようかと。

 まずはその頃僕には時間があったということが挙げられる。何故時間があったかというとその頃僕は空白のキャンバスに未来という名の絵を描こうとしていたからだ。要するに無職だ。
 無職といっても次の就職先は決まっていて就職活動をする必要もなければ皆さんご存じのように友達がいないので外出する必要もなく、時間を持て余していた。

 そこでニコニコ動画に投稿してみようと思い立ったわけだが、何故歌ってみただったのかは正直分からない。そのときよく歌ってみたカテを見ていたからかもしれない。しかし今考えてみるとよく思い切ったと思う。聴いてもらえれば分かるが、まず歌が致命的に下手だ。あと声が気持ち悪いし、僕は自分の声が嫌いだったはずだ。声がというか自分の口腔から発せられるもの全てが嫌いだった。自分のコミュ障感やキョドリがダイレクトに声色に乗って相手に流れるということが嫌いだった。恥ずかしかった。

 顔の見えないネット上だから開き直れたのだと思う。僕の動画投稿の感覚は、このブログの投稿のようなものだった。テキストでなく、たまたまニコニコ動画の歌ってみたというコンテンツを通したアウトプットだ。ひとり言のように、でも誰かに聞いてもらいたい、笑ってもらえれば儲けもの。そんな軽い想いだった。
 もちろんきっかけなど人それぞれで、僕のような軽い気持ちの人もいれば、「歌が好きだから」「産まれてきたときの第一声が『他の動画で私の名前を出すのはやめて下さい』だった」「みんな抱きしめて、銀河の果てまで!」など色々あるのだろう。僕はそれでいいと思う。

 結果的に、本当に結果的にだが、僕の動画はそのクオリティからは想像を絶するほど見てもらえた。僕は今なら「歌ってみたにして良かった」と言える。
 少し救われた気がした。キョドって友達がいないと公表しても、あれほど嫌いだった声でも、ちゃんと受け入れてもらえるんじゃないか。『キョドってるし声も気持ち悪いし全体的に気持ち悪いし・・・』。あの頃の僕よ、そんなことは全然関係なかったんだ。


posted by トモナシ at 00:04| Comment(17) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月01日

最近のニコニコ動画

 「最近のニコ動はニコニコできない」というのは本当なのだろうか。少し「最近のニコ動はニコニコできない」について本気出して考えてみようと思う。

 まず「最近のニコ動はニコニコできない」と言っている人は「最近のニコ動はニコニコできない」と判断できるほど最近のニコ動を見ているのだろうか。ニコ動よりもxvideosを見る時間の方が長かったりしないだろうか。それでは公正さに欠けるのではないか。

 あるいは「最近のニコ動はニコニコできない」から最近のニコ動の滞在時間が減りxvideosを見ているのだ、と反論されるかもしれない。その場合、この「最近のニコ動はニコニコできない」により何を訴えたいのだろうか。xvideosこそが真のニコニコ動画だ、ということだろうか。

 僕はこれを怨嗟の声だと捉えている。居場所を奪われたと感じた者達の嘆きである。
 勿論これは大きな思い違いであり、わりとウザがられる言動であると思う。しかし僕はそれを責める気にはなれない。インターネットであり、ニコニコ動画である。かつてのその場所に集った者達に、満たされた人間がどれほどいたのか。若干キモい感じがデフォルトであったようにも思える。あるいは物凄くキモかったかもしれない。いずれにせよ、居場所を安易に見つけられるゆるふわシャイニングガールではないのだ。代替を探り当てるのにどれほどの労苦が必要になるのか。粘着するのが当然だ。

 「それはランキング上位ばかり見ているからだ。これだけ動画があるのだから、自分に合ったものを見つけ出していけばよい」とおっしゃる人もいるだろう。ナンセンスだ。そんな素敵な思考回路の持ち主なら、最初から呪詛の声を吐き出したりしない。憎いのだ。彼等は、ただ憎いだけなのだ。どんなにアニメが面白く、フィギュアをペロペロする事に満足していても、メインストリームの煌めきが憎いのだ。テニスサークルが憎いのだ。メインストリームに所属していない自分が、間違っている(と思われている)のではないかという劣等感に苛まれるのだ。反論したいのだ。動画サイトという世界だって同じだ。自分が近寄れず、自分の見える場所で、ワッショイワッショイ楽しそうにしているのが気に入らないのだ。しかもそれはかつて、自分が居たはずの場所なのに。

 それにメインストリームは厚くなる。そこに人や物が集まる。需要に応じて供給は熱を帯びる。老人が選挙の票の多くを握れば、政治家は老人に向けた政策を積極的に打ち出していく。その恩恵に享受できない者はつぶやくのだ、「最近の政治は駄目だ」と。

 これまでもインターネットのコンテンツは同じような事を繰り返してきた。それほど長くない周期でだ。「最近のニコ動はニコニコできない」も、なんら特筆すべきことではない。結局我々は、新しいインターネットを見つけるか、リアルワールド中心にやっていくか、「最近のニコ動はニコニコできない」と文句を言いながらも粘着していくか、いずれかしか対処法はない。最近のニコ動が、昔のニコ動に比べて劣化したわけではないのだから。


 ただ、「ニコファーレ」はないと思う。

posted by トモナシ at 00:16| Comment(19) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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